mocomocoponのブログ

猫と一緒に暮らすようになって、癒される日々をここに記せたらと思っております。

はっ! 〜 江の島 ② 〜



お立ち寄りいただき、ありがとうございます。



今日は、可燃ゴミの日です。

いつもの場所に、いつもの鳥を見つけた けんです。



鳥が飛び立ち



けんの頭上を



カラスは無理だにゃ🐦‍⬛



🐾



昨日は、虫を良い感じでキャッチしたのだけどね







はっ!




🐾 🐾 🐾




先週末に訪れた江の島「岩本楼」です。



館内の様子





こちらが、ローマ風呂の入り口のドアです。









朝食を済ませ、宿を出た時に雨が降り始めました。天気予報通りになってしまい、残念です。



雨が降っていなかったら、階段で登る予定でしたが、瑞心門の脇にある 有料のエスカレーター1で、辺津宮まで進みました。



エスカレーターの出口前には、龍神がいます。




龍神と弁財天


水辺に鎮まる龍神は古来より気象を司る国土安泰の神とされました。

江ノ島では弁財天の夫神として財宝福徳の神としても信仰を集めています。




江島神社 三宮


辺津宮・中津宮・奥津宮の三宮を総称して江島神社と称しています。




辺津宮 ( 江島神社 ) を参拝後、すぐ隣にある奉安殿に入りました。

こちらは有料で、撮影禁止でした。

奉安殿の中にある御賽銭箱は、箱型ではなく、巾着袋の形をしていて、御賽銭を入れると音が聞こえます。入れ方によっては、音が聞こえないので、遠慮がちに端に入れないようにすると良いかもしれません。








🐍


江の島にはいつくかの神社がありますが、この近くの一ヶ所の御朱印所で、全ての御朱印をいただくようになっています。




八坂神社


お祀りされている建速須佐之男命は八岐大蛇を退治したことでも知られる日本神話の英雄で、江島神社の三女神と縁の深い関係にあります。

御神体である建速須佐之男命の木像は、はじめは腰越の小動神社にて祀られていましたが、大波によって海へ流され、後に江の島の漁師によって海中から引き揚げられて島内に祀るようになったと伝えられています。

毎年七月には、この伝承を再現する「江の島天皇祭」( 市重要無形文化財 ) が行われ、お神輿を担いで海に入ったのち、江の島から腰越までを練り歩きます。



御朱印所の近くからの眺めです。雨が降る前に参拝した時に撮ったものです。



有料エスカレーター2で、中津宮 ( 江島神社 )へ




中津宮には三女神の一柱である市寸島比賣命をお祀りしています。

853年に慈覚大師によって創建され、明治時代までは辺津宮が「 下之宮 」と称されたのに対し、この中津宮は「 上之宮 」と呼ばれていました。

現在の社殿は1996年に全面的に改修されたもので、創建当時の朱色が鮮明な社殿を再現しています。

境内には江戸時代に歌舞伎関係者によって奉納された石灯籠のほか、多くの奉納石像物があり、信仰の深さをうかがい知ることができます。












有料エスカレーター3で、サムエル・コッキング苑へ






有料エスカレーターは、登り専用なので、ここから先と、元の場所に戻るには全て歩きです。

この日は、天候が悪かったので、江の島展望塔の屋外展望フロアには出れませんでした。



屋内の展望フロアからの景色です。





こちらのカフェ、今回は入りませんでしたが、素敵でした。



レモンが美味しそう🍋



先に進みます。



この時間は、お昼過ぎだったのですが、ゴールデンウィーク最後の日曜日で、雨が降っていたため、観光客は少なく、街並みを撮影するには良かったですが、時々、強い雨と風で傘を持っていてもびしょ濡れになってしまいました。



江の島大師








かねは、とても良い音が響きました。



江の島大師を出た先にある眺めの舞台『 山ふたつ 』では、この時、ほとんどの人が傘が飛ばされそうになってワーっと思わず声が出てしまうほど風が吹いていました。




江の島は上空から見るとひょうたんのようにくびれた形をしており、ここは江の島を二分するくびれ部分にあたることから俗に「山ふたつ」と呼ばれています。波によって削られてできた洞窟の天井部分が崩れ落ちたことにより、現在のようなくびれた形になったといわれています。

山ふたつの谷底には遊行僧が修行したと伝わる洞窟がありますが、現在は危険なため立ち入りが禁止されています。



山ふたつのすぐ先にあるお店です。









美味しそうだったので、家族へのお土産をこちらで購入しました。


江の島は、このような階段が多いです。



奥津宮 ( 江島神社 ) に着きました!



1182年に源頼朝が奉納したと伝わっています。

鎌倉幕府が編纂した歴史書「吾妻鏡」には、源頼朝が当時 奥州の一帯で非常に大きな力を持っていた藤原秀衡の追悼祈願の為、御窟 ( 今の岩屋洞窟 )に弁財天を祀り、鳥居を奉納した事が記されています。後の1189年に源頼朝は奥州へ攻め入り、藤原氏を滅ぼしました。

現在の鳥居は2004年の台風で破損し、一部新材で補修されたものになります。





亀石







この日、雨の中、ここまで来ていた数人の観光客は、この先の岩屋に行く事が目的のようで、ほとんどの方が素通りしていました。

亀は天井にいます。


現在位置を確認。



龍宮



江の島は古来より龍が棲んでいる場所といわれているため龍神信仰が篤く、五頭龍と弁財天にまつわる伝説「江嶋縁起」をはじめとした龍にまつわる伝説が多く残されています。

軍記物語である「太平記」によると、鎌倉幕府創設のころ、北条時政が子孫繁栄を祈るために御窟で参籠した際、目の前に弁財天が現れて、時政の願いをかなえることを約束した後に龍 ( 大蛇 )の姿となり、海に消えていったと記されています。そのときに授かった龍の三枚の鱗を形どり、北条家の家紋にしたことが「三つ鱗紋」の起こりです。

このような龍神信仰を背景に、龍宮は龍神を御祭神として江の島岩屋の真上に位置するこの場所に建てられました。



ここまで来たら、目的のひとつが達成です。




この急な坂を下ります。



芭蕉の句碑・佐羽淡斉の詩碑・服部南郭の詩碑



稚児ケ淵は、途中にあった「山ふたつ」よりも風が強くなっていました。普段からそうなのか、この日が特別強風だったのか分かりませんが、修行のようでした。




この道を進みます。



着いたー!!




与謝野晶子の歌碑





これは、自分では選ばず、スタッフの方が手渡してくれました。

























びしょ濡れになりながら、龍宮近くの富士見亭まで戻り、休憩しました。

やはり、魚は美味しいです。




こちらでは、2時間ほどゆっくりしてしまいました。

天気が良ければ、稚児が淵からもこちらの富士見亭からも富士山が見えるようですが、残念でした。

でも、強い雨風の中の参拝は、ある意味、龍神様が歓迎してくれているのかなあと都合良く考えています。


笑笑


さあ、次は下まで一気におります!


途中の坂では、鍵が下げられていました。

『ずっと一緒に』という願いのようです




瑞心門まで下りると、猫さんが姿を見せてくれたのですが、撮り始めたら、他の観光客さんが目の前に立って猫を見たため、この一瞬しか撮れませんでした。

残念。笑笑



瑞心門





弁財天 童子像




たこせんべい

海外の観光客と若い人が多く並んでいました。




さあ、橋を渡って江ノ電の「江の島」駅まで歩きます!

橋を超えた頃に、また激しい雨が降ってきました。









🚃 ✨ 🚃 ✨ 🚃



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



皆さんにとって、素敵な時間をお過ごしください ☘️